日本と海外のスーツの歴史に違いってある?スーツは元々「戦闘服」だった!?のアイキャッチ画像
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日本と海外のスーツの歴史に違いってある?スーツは元々「戦闘服」だった!?

普段何気なく着ているスーツですが、その歴史を知らない人は多いのではないでしょうか。

そんなスーツですが、元々は軍隊の戦闘服として使われていました。

今回は、日本と海外のスーツの起源や、スーツが国民に広がった経緯などを紹介します。

スーツの歴史を知れば、スーツに対しての理解もより深まるでしょう。

ビジネスマンの戦闘服「スーツ」の起源と広がり

今や世界中に広がるスーツですが、現在のスーツの原型は1848年頃に誕生した、「ラウンジジャケット」といわれています。ラウンジジャケットは、貴族の間で親しまれていた衣類とされています。そのため、スーツに対して品や格を感じる理由は”ココ”にあると考えられているのです。

またスーツの歴史をさらに遡ると、16世紀頃のイギリスの「フロックコート」に似た衣服が起源といわれています。

もともとは農作業着だったスーツ

スーツの始まりは元々農民が来ていた農作業着あるいは、外出着でした。「フロック」と呼ばれたこの衣服は素材を上質化し、仕立ても洗練されていきました。そして、一般市民の外出着「フロックコート」に進化していきます。

フロックコートは軍人や貴族、航海士といったさまざまな職種に拡がり、動きやすいようアレンジされていったのです。現在でもスーツは、イギリス軍の将官の正装として使用されています。

当時のイギリスは、諸外国との戦争での勝利や巧みな外交により、国力が大きくなっていきました。さらに18世紀後半になると、産業革命により国内経済が一段と発展します。

また同時期に起きたフランス革命により、フランスの国力が衰えていきました。

これにより、ファッションの中心がパリからロンドンへと移ることになるのです。そして貴族文化が華やかになり、現代スーツの原型が生まれる土壌ができあがっていきました。

貴族の習慣から生まれた現代スーツの原型

19世紀になると「モーニングコート」や「燕尾服」が生まれました。これらは、貴族が朝に乗馬をしてそのまま宮廷に上がっても大丈夫なように、デザインが改良されていきます。

当時の貴族はことあるごとに、着替えていたといわれています。具体的には、散歩用や乗馬用など、シーンが変わるたびに着替える必要があったのです。1日で換算すると、4回以上着替えていたといわれています。

そして、最も大切だったのがディナーです。ディナーの際には、男性は燕尾服、女性はイブニングドレスに着替える必要がありました。

当時のディナーはとても堅く静かで、厳かな雰囲気で行われていました。そのため、女性がいる前ではワイン以外の強いお酒やタバコもダメでした。

近年では、仲のいい友達や知り合い、職場の上司と何気ない会話を交えながら食事をします。そのような食事環境は、19世紀頃には考えられなかったのです。

そんな堅く静かなディナーを終えたあとは、男女別に分かれて一服するのが習慣でした。ラウンジルームでタバコを嗜んだり、お酒を飲みながら語り合ったりするのが民衆の楽しみとされていたのです。

ちなみにラウンジとは「くつろぐ」という意味があります。そのため、体にフィットした燕尾服やテールなどのシャツは、ラウンジルームに合わないと判断されました。そうして生まれたのが「ラウンジジャケット」です。アメリカではサックスーツと言います。

諸説あるラウンジジャケット誕生の秘話

ラウンジジャケット誕生には諸説ありますが、考えられているのは2つです。

1つは、燕尾服に臭いがつくのがタブーのため、たばこ用に丈の短いスモーキングジャケットがモデルになった説です。ちなみにスモーキングジャケットは、タキシードのモデルになったと言われています。

2つ目は、スコットランドのディーサイドジャケットという仕事着がモデルになったという説です。

ラウンジジャケット誕生には上記の説が濃厚とされていますが、真相は当時の人にしかわかりません。

技術の進歩とラウンジジャケットの流行

このように、諸説あるラウンジジャケットの誕生ですが、貴族の間で少しずつ流行していきました。さらに流行を支えるきっかけになったのが、技術の進歩です。

1845年にミシンが発明され、1849年には「ブルックスブラザーズ(アメリカの衣料ブランド)」が世界で初めて既製品スーツを製造しました。ミシンが発明されてから、スーツを製造するコストや手間が省け、安価ながら快適で着心地の良いスーツが大量生産されました。つまり、ミシンの発明がスーツを広めるきっかけになったのです。

スーツが広まるにつれ、「ラウンジジャケットをラウンジ以外でも着よう」というムードが強くなりました。1860年代になるとラウンジジャケットは一気に広まり、「※スリーピース」も同時期に生まれました。

(※スリーピース=ジャケットやベスト、スラックスの3セットから成るスーツ。一般的に背広ともいわれている。)

アメリカの台頭とビジネスウェアとしてのスーツ

急速に広まったラウンジジャケットは、徐々にビジネスウェアとしての地位を確立していきます。そして燕尾服やモーニングコートは、フォーマルウェアに格上げされていきました。

20世紀に入ると、新興国アメリカが力をつけ、大国へとのし上がってきました。それまでアメリカは、ヨーロッパからスーツを輸入していましたが、大国へと変化を遂げてからは独自でスーツを生産するようになります。

しかし、貴族文化のなかったアメリカ人にとって、スーツは庶民のための服という意識が強くありました。そのため、合理性を重視する国民性も手伝って、大量生産による着心地の良いスーツが庶民に広まっていきます。

やがて世界の大国となったアメリカで、ビジネスウェアとしてスーツが採用されるようになり、爆発的に世界中でスーツが広まりました。

イギリス、イタリアのスーツに対する考えの違いについて

ここまで、アメリカのスーツの起源を紹介しました。スーツの歴史を知る上で、「イギリス」と「イタリア」のスーツの起源を知ることは必須です。なぜなら、スーツは大きく以下の種類に分類できるからです。

  • アメリカンスタイル
  • ブリティッシュスタイル(イギリス)
  • イタリアンスタイル

アメリカのスーツについてはここまで述べてきましたので、イギリスとイタリアのスーツの違いについて紹介します。

「他者への礼儀として装う」イギリス

1年中曇りが多いイギリスでは、勤勉・伝統重視・保守的という国民性があり、固めの生地を活かした「カッチリスタイル」が主流です。通称、ブリティッシュスタイルといいます。

英国紳士の場合は、上品で知的さを感じさせる服装が好まれます。貴族文化から生まれたということもあり、ドレッシーさを大切に、他者への礼節のために装うという意識が強くあります。

「異性にアピールする」イタリア

イタリアのスーツのデザインは「柔らかく、中世的で華やか」なものが多くあります。とにかくシルエットの美しさにこだわり、ドレープの効いた滑らかさが特徴です。

晴れの日が多く空気が乾燥していているイタリアでは、イギリスと比べて生地のへたりが遅くなります。そのため、柔らかめで軽い素材が好まれます。

また開放的な国民性もあるため、自分を美しく見せて異性にアピールしたいという意識の強さが、イギリスとは異なります。

スーツのトレンドの変遷

1920年代には、現代のスーツの基本となる型が出来上がってきました。ですが、スーツは現代にいたるまで、世の中の動きや科学技術を取り入れて進化していったのです。戦中からのスーツの起源を紹介します。

戦中・戦後の混乱期

第二次世界大戦中は肩パッドを厚く盛った逆三角形シルエットが流行しました。先の見えない不安な時代の中で「相手になめられないために、自分をより大きく見せよう」という心理が働いたとされています。

戦争中で物資不足だったこともあり、生地や裏地は簡素で質感も荒く、ウエストコートも贅沢品ということで省略化されてきました。ちなみにウエストコートの省略は、戦後一般化していきます。

戦後50年代後半になると混乱も収まり、全体のシルエットも落ち着いて、肩周りの強調も少なくなっていきました。

その後も科学技術の進歩により、合成繊維が多く用いられたり、染料の進化で色出しが鮮やかなものが増えていきます。

文化の影響と女性視点

70年代に入ると、ヒッピーやウーマンリブ運動といった、さまざまな文化の影響を色濃く反映したスタイルが流行します。

極端なコンケーブショルダーや、胴回りのクビレが強調され、裾へと末広がりないわゆる「ヒトデ型」です。

この頃になると、サンローランといった婦人服の著名デザイナーがメンズスーツに参入するようになります。

メンズスーツでありながら、どこか女性のような優しさを感じさせるデザインが流行しました。イタリア発のソフトスーツや、日本のデザイナーブランドによるスーツが典型です。

1980年代には、ヨーロッパの日常着としては200年ほど禁じ手だった黒無地も、積極的に使われ出したのも特徴です。

日本のスーツの歴史

ここまで他国のスーツについて紹介してきました。では、日本のスーツはどのように広まっていったのでしょうか。

時系列順に紹介します。

明治維新の後に洋服が少しずつ一般化してきた

江戸時代までは、和装が庶民の服であり正装でした。幕府の役人も、諸外国との交渉の場では髷を結った袴姿で臨んでいます。その流れが大きく変わったのが「明治維新」です。

明治維新で近代化改革が行われた後、海外から流入してきたフロックコートを礼服として利用しはじめました。明治5年11月12日には、礼服として洋装が認められるようになったことで、洋装が広まるきっかけになりました。つまり、明治維新から、日本人の正装が大きく変わったのです。

ここでお気づきになった人もいるかもしれません。日本の11月12日は、「洋服記念日」です。洋服記念日は、日本でも洋装がフォーマルな衣類として認められた日付を指します。

戦後の好景気と大量生産

戦後の日本は徐々に景気が回復してきたため、スリーピースが通勤着や日常着として普及してきました。とはいえ、オーダーメイドが一般的だったため、費用が高く限られた人しか着れなかったのです。

ところが第一次世界大戦後の好景気により、それまで高級品だったスーツスタイルが、大衆向けに広がっていきます。さらに、第二次大戦の混乱期を抜け、機械の発達により大量生産でスーツが広く普及していきました。

今は外に出るたびスーツを着用している人を見かけます。しかし、第一次世界大戦直後の日本では、現代のような状況は考えられなかったのです。

独自の進化を遂げた日本のスーツ文化

日常着として一般化したスーツは、やがて独自の進化を遂げていきました。1960年代には、ボディラインが鮮明なタイトなアイビールックが主流でした。1970年代に入ると襟幅の広いスーツに、太いネクタイというスタイルが流行します。そしてバブル時代以降は、ダブルボタンのゆったりシルエットが人気を集めたのです。

現在の日本でのスーツスタイルは、タイトなものが好まれ、使われる生地も軽やかで滑らかなものが多いです。

オーダースーツ専門店「オーダースーツSADA」とは?

「オーダースーツSADA」とは、低価格でありながら高品質のスーツを提供しているオーダースーツ専門店です。

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まとめ

現在のスーツの原型は18世紀に誕生した「ラウンジジャケット」ということはご理解いただけたはずです。ラウンジジャケットは、貴族の間で使われていました。現在のスーツがフォーマルとされている理由は、ラウンジジャケットが貴族の間で使われていたからです。

また、日本では、明治5年に徐々にスーツが広がっていきました。今は日常的に使われるスーツですが、当時の日本人からすると、現代のような光景は考えられないでしょう。

普段何気なく着用しているスーツですが、歴史は深いのです。