【スーツ 歴史】スーツが世界各国に普及した理由と歴史のアイキャッチ画像
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【スーツ 歴史】スーツが世界各国に普及した理由と歴史

スーツってそもそも何? なぜ世界中で使われているの? 今回は、スーツの歴史と世界中へ普及した理由について紹介します。

スーツの意味

男性が着用するスーツとは、ジャケットとパンツが同じ生地(共布)で作られた服を指します。 ジャケットはテーラードと呼ばれる襟があるもので、パンツにはセンタークリースというプレスラインが入っている点が特徴です。

単品ジャケットはスーツと何が違うのか

スーツと形が同じでパンツが無い、単品のジャケットはスーツと何が違うのでしょうか? 分かりやすい違いは、生地感です。 スーツの生地は、ジャケットよりも格式高い場面で着用されるため、表面がフラットで肌触りも滑らかです。 ジャケットはスーツよりもカジュアル寄りな場面での使用となるため、生地の表面に凹凸があるものが多く、肌触りも若干ザラつきがあります。 スーツは基本的に上下同時に着用することを目的としているため、単品での利用は避けます。 (一部、単品利用を前提とした生地もあるため、ジャケットとしてもスーツを着用したい場合は、事前に要望を伝えてオーダーすると安心です。)

スーツを着用する意味

上下共布のスーツの着用は相手に対する敬意の意味を持ちます。 そのためシャツのルール、ボタンのルール、着用場面にふさわしい色柄、時間などが暗黙の了解として現代にも残っています。 適正な袖丈、着丈、裾丈のルールも存在し、この基準はトレンドの長さと異なります。 スーツにはファッションとしての着こなしマナーとしての着こなしがあるため、場面に合わせて選ぶことが大切です。 ドレスコードはそのような着こなしの目安となるものです。 場所やイベントに合わせた、ふさわしい装いを決めたルールがドレスコードです。 ドレスコードを守る事で場所に統一感と格式が整い、誰もが平等で対等な着こなしとなります。 その結果、イベントの参加者が快適な空間を楽しむことが可能になります。 また、イベントのホストが1つ上の格式のスーツに身を包むことで、礼節を持ってゲストを迎えるという意味になります。 スーツの目的は、円滑なコミュニケーションの基礎となる、第一印象を整えることにあります。 では、なぜスーツにそのような役割が与えられるようになったのでしょうか?

スーツが生まれた国

スーツが生まれた国はイギリスです。 スーツの起源ともいわれる原型は、16世紀には誕生していたと言われます。 しかし、16世紀の貴族の服は染色したシルクが用いられ色鮮やかでした。 金や銀などの装飾も華やかで、現在のスーツよりもはるかに派手な衣服です。

なぜ16世紀がスーツの原点になっているのか

16世紀半ば、当時のイギリスはペストの流行や大火など大きな困難に見舞われていました。 困窮する民衆の怒りが贅沢な暮らしを好む王宮や貴族に向けられたため、1666年10月7日に衣服改革のための宣言が出されます。 この改革は貴族に倹約を求めたもので、その際に提示された服がスーツの原点とされています。 装飾や色彩は、若干抑えられた服ではありましたが、現在のスーツとの共通点はあまり見受けられません。 そのまま18世紀末までは、現在のスーツとは全く異なったシルエットでした。 ジャケットは膝下まであり、パンツは半ズボン、ベストを着用し、膝下はストッキングという組合せです。 現在のスーツとの共通点は、袖口から見える白いシャツの袖や、ジャケット、ベスト、パンツという衣服の構成程度です。

フロックコート

現在のスーツに近い形となったのは、18世紀に貴族の正装となったフロックコートです。 フロックコートとは、地方在住の貴族が乗馬や狩猟を楽しむ際に着ていた服です。 全体的にスッキリとしたシルエットに変わり、袖も細く、装飾は殆ど省かれています。 ただ、着丈は長く膝丈でした。 素材はウールが使用され、色もダークカラーや、自然に馴染む色が好まれています。 ウールで仕立てた生地はシルクよりも強度とストレッチ性に優れていたため、乗馬や狩猟に適していました。 19世紀に入ると、貴族たちはこのフロックコートの前裾を省略した、動きやすいデザインを好むようになります。 フロックコートから、モーニングコートやテールコート(燕尾服)が考案され普及しました。 この頃の貴族たちは一日に何度も着替えをしています。 朝の散歩にはモーニングコートを、乗馬にはテールコートを着用し、昼には宮廷へ向かいます。 やがて、モーニングコートやテールコートは、現在の正礼装へと進化しました。 時間に応じて正礼装が変わるのは、この頃の貴族が時間や用途に応じて着替えていた名残です。 そのためモーニングコートは昼の正礼装となり、テールコート(燕尾服)は夜の正礼装となりました。 テールコート(燕尾服)は白いネクタイを着用するため、ドレスコードではホワイトタイと指定されます。

ラウンジスーツ

19世紀中頃に登場したラウンジスーツは、現在のスーツに最も近い形となっています。 ラウンジスーツとは、食後に貴族たちがラウンジで会話を楽しみリラックスする時間を過ごしていたことに由来します。 その際にモーニングなどの長い裾が不要になり、裾を短くしたラウンジスーツが考案され、現在のスーツと同じ形状に変化しました。 同時にタキシードにも分岐しています。 その快適さから人気が高まり、それまで着用されていたフロックコートやモーニングコートはラウンジスーツへと切り替わります。 ラウンジスーツは短期間の間に普及しました。 19世紀後半には、老舗生地メーカーやテーラーが続々と創業し、一般へとスーツが普及していきます。

スーツの歴史を知ろう

イギリスで誕生したスーツは、その後どのような変化をたどり、世界中へと普及したのでしょうか。

ヨーロッパからアメリカへ

19世紀の終わりに、ラウンジスーツとしてヨーロッパに普及したスーツは、人々と共にアメリカへと渡ります。 当初はジャズを愛する人々の間で好んで着用されていました。 お洒落な音楽と着こなしにアメリカの人々は魅了され、大ブームとなります。 需要の急激な増加により、既製服が発展しました。 手軽に手に入るようになったスーツは、新たな役割を与えられます。 スーツはアメリカで、ビジネスに用いられるようになりました。 アメリカのスーツスタイルは、ビジネスにおける実用性を重視したシルエットに変化します。 ウエストを絞らないボックスシルエットは動きやすく、その特徴は現在にも受け継がれています。

ビジネススーツの誕生

アメリカで「ビジネスにはスーツを」という新たなスタンダードが成立し、スーツは再びヨーロッパへと戻ります。 民主化の流れと共に、平等な取引の場にふわさしい衣服として脚光を浴びたスーツは、その役割と需要に牽引されて普及しました。 貴族の服から一般に身近な服となり、その需要をいち早く掴んだ既製服メーカーは続々とスーツを発売し好評を博します。 誰もが手に入れられる服として、スーツは民衆の生活の中へ浸透しました。

スーツは世界中のスタンダードへ

スムーズな取引にふさわしい衣服という、分かりやすいコンセプトで認知されたスーツは、世界中で需要が巻き起こります。 20世紀では、ビジネスに必須の衣服としてスーツの存在を不動のものとしました。 スーツは身分や地位、出身を越え、誰もが対等に対話する権利を持つことを象徴する衣服です。 それは、スーツが成立した時代背景が、封建的な王侯貴族による統治から民主的な時代への過渡期であったことが大きな理由だと言えます。 そして、スーツスタイルも英国紳士的なブリティッシュスタイルから始まり、スーツを独自に解釈したお洒落なイタリアンスタイル、実用性を重視したアメリカンスタイルと分岐しながら発展しました。 では、日本はどのようにスーツが普及したのでしょうか?

日本のスーツの歴史

日本でスーツが礼服として着用されたのは、明治政府が主体となった幕末から明治初期です。 1858年に鎖国を解き開国した日本は、欧米との文化や技術の差に愕然としていました。 明治維新政府は、欧米におくれをとっていた文化面でも追いつくために、洋服を推奨し普及に務めます。 洋服は当初、軍服として人々の目に触れるようになります。 この頃の軍服は、ある程度の型が決まっていたと言われており、日本で最初の既製服に当たります。 明治政府は鹿鳴館での国賓への接待や舞踏会などで、海外に向け文明国であることをアピールしました。 その際には、礼服としてフロックコートが着用されています。 政府高官などが洋服を着用し、徐々に日本国内にも洋服が普及し始めます。 明治初期は、4つボタンが主流でしたが、中期には3つボタンに変化します。 その後、海外と日本の体格差から2つボタンが主流になりました。 当初の2つボタンは、現在よりもボタン位置が高く、2つともボタンを留めて着用しても問題がない作りになっていました。 この頃は洋服の生地も貴重だったため、再利用されることも多くありました。 表生地が摩耗すると分解して生地を裏返し再縫製する、というような手間をかけたスーツも存在しています。 素材不足など様々な困難を伴いながらも、洋服の普及は次第に民間にも進みました。 大正時代に入るとようやくシャツなどが身近になり、着物のインナーにシャツを着るというお馴染みの着こなしが見られるようになります。

第一次世界大戦によるテーラーの普及

第一次世界大戦は、皮肉なことに日本に好景気をもたらしました。 この戦争による好景気が日本にスーツを普及させます。 この頃のスーツは全てフルオーダーで大変高価な衣服でした。 しかし、好景気に沸き立つ社会情勢のなかで、高価なスーツは脚光を浴びます。 誰もが憧れるスーツを手に入れ、通勤着や日常使いすることがステータスとなっていました。 その後、第二次世界大戦でスーツの人気は一時停滞します。 しかし、一転して戦後は機械の導入で大量生産が可能になり、既製服が爆発的に普及しました。 高度経済成長に後押しされ、スーツは仕事着や冠婚葬祭に無くてはならない衣服となります。

日本と世界のスーツの違い

スーツは、普及した国の気候や国民性に影響を受けながら発展する傾向があります。 日本と世界のスーツの違いは何でしょうか? ・色・・・日本のビジネススーツでは、ブラックのスーツがごく普通に販売されていますが、海外では一部ハイブランドを除きあまり見かけません。 特に黒無地に関しては、海外ではタクシーやホテルの制服のようなイメージが強いと言えます。 海外でのビジネススーツは、ネイビーかグレーが基本で、実に多彩な濃度のスーツがあります。 そのため、海外出張などではブラックのスーツを避けた方が無難と言えます。 ・イージーオーダー・・・海外にはイージーオーダーという言葉がありません。 イージーオーダーはフルオーダーよりも簡単なオーダーという意味の和製英語です。 ・海外に礼服、喪服は無い・・・日本の礼服や喪服は日本限定の準礼装です。 では、海外の葬儀では何を着用するのでしょうか? 国によって若干違いがありますが、基本はダークスーツです。 悲しみを表すため、光沢のある生地を避けます。 無地の白シャツに、親族は黒を、参列者はダークカラーのネクタイを着用します。 ・ポケットのフラップのルール・・・日本は礼節を重んじ、失礼なことがあってはならないという国民性があるため、スーツの着こなしルールにも厳格です。 特にポケットのフタ(フラップ)を出すかしまうかに悩むことも多いのが日本の特徴です。 本来は、フラップを屋外では雨蓋として出し屋内ではしまうのがルールとされていますが、海外では現在、そのようなルールは形骸化しており完全に守る人は少ないと言えます。 そのため、常時出したままが基本となっています。

オーダースーツ専門店「オーダースーツSADA」とは?

オーダースーツSADAでは、フルオーダーでスーツを仕立てる楽しさを体験して頂けます。 ラウンジスーツが誕生してから僅かな期間で、スーツは世界中を魅了しました。 フィット感のある美しいシルエットは、仕立て服だからこそできるものです。 丁寧な採寸で型紙を作り縫製する、本来のフルオーダースーツを仕立ててみませんか? スーツには用途に合わせたふさわしい色柄、生地の質、サイズ感があります。 マナーを守る着こなしか、ファッションとしてトレンドを取り入れるべきか迷った時も安心です。 オーダースーツSADAでは経験豊富なスタッフが、場面にピッタリな生地やスタイルをご提案します。 現場のスタッフが肌で感じている、今現在の人気生地もお問合せ下さい。 実際に生地に触れて選ぶ楽しさは格別です。 貴族が楽しんだフルオーダーの楽しみを、ぜひ体験してみてください。