昔のスーツの特徴は?スーツ文化の変化を1940年から1990年までの歴史と共にご紹介のアイキャッチ画像
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昔のスーツの特徴は?スーツ文化の変化を1940年から1990年までの歴史と共にご紹介

平成から令和にかけてファッションの流行が変わっていったように、スーツのデザインや、スタイルに関しても時代と共に様々に変化していきました。

とはいえ、何気なく着用しているスーツがどのように移り変わってきたかについてまでは、ご存じでない方も多いでしょう。

そこで本記事では「スーツの原点から始まり、1940年から1990年までスーツの特徴が歴史に影響を受けながらどのように変化してきたか」についてご紹介します。

ヴィンテージスーツに興味がある方や、スーツスタイルの幅を広げたい方は、ぜひ最後までお読みください。

スーツの原点とは

そもそも現在のスーツの起源となるものは、どこから始まり、またどのようなデザインが採用されていたのでしょうか。

こちらでは「スーツの原点」についてご紹介します。

スーツのルーツは「紳士の国イギリス」にあり

現在のスーツの原型となったものは、1800年代前半のイギリスで確立された「フロックコート」と言われています。

元々農民が農作業着として着用していた「長い袖と丈の長い服」が広まり、英国紳士が愛用する「昼の正装」として確立していきました。

このような背景もあり、「フロックコート」は黒色のものが正式で、上質な生地を用いて仕立てられます。

その他には、膝丈まである長い裾と、「ダブルブレスト」と呼ばれる打ち合わせが広くボタンが2列に並ぶディティールが特徴的です。

また、現在のスーツスタイルと同様の「シャツ・ネクタイ・ベスト・スラックス」の着こなしは、「フロックコート」の広まりと共に確立されていきました。

現代のスーツに最も近い「ラウンジコート」が誕生

「フロックコート」は室内で過ごすには窮屈すぎることや、長すぎる裾が乗馬の際には邪魔になってしまうことから、ジャケットの着丈が短く改良された「ラウンジジャケット」が徐々に主流となっていきました。

さらに、1800年代後半には「ジャケット・ベスト・スラックス」がすべて同一の生地で仕立てられるようになった「ラウンジスーツ」が普及され、現在のスーツスタイルに継承されていきます。

これから「ラウンジコート」が、時代の流れと共にどのように最適化されていくのか詳しく見ていきましょう。

スーツ文化と歴史〜1940年代〜

スーツ誕生から100年近く経ち、どのような変化が現れたのでしょうか。

前述した「スーツのルーツ」に引き続き、こちらでは「1940年における歴史とスーツ文化」についてご紹介します。

スーツ発祥の地「イギリス」に焦点を当て、スーツ文化における変化について見ていきましょう。

戦争の影響を大きく受けスーツの簡素化が進む

1940年代初期は「第二次世界大戦」真っただ中でファッションを楽しむ余裕がなく、1930年代のスーツから大きな変化はありませんでした。

また、戦争の長期化による皺寄せはスーツにも影響し、生地やデザインの簡素化が進むこととなりました。

具体的には、背地の素材が「コットン」から安価な「レーヨン」になり、「3ピース」から生地を節約できる「2ピース」が普及していきました。

現代の「ブリティッシュスーツ」に最も近いスーツが登場

この時期に流行ったスーツは「イングリッシュドレープ」と呼ばれるもので、それ以前のスーツにある上品さとは真逆に、「男性らしさ」を全面に強調するシルエットが特徴です。

具体的にジャケットのデザインは、厚めの肩パッドで肩幅を広くとりラペルは太めに、そしてウエストラインは高く、身体の曲線に沿うように絞られたウエストシェイプが特徴的で、全体的に落ち着きのある印象となります。

一方で、スラックスのデザインには前身頃も後身頃にもゆとりを持たせ、ドレープ感のあるゆったりとしたバストラインが採用されました。

「イングリッシュドレープ」におけるメリハリのあるスーツスタイルは、今日の「ブリティッシュスーツ」に共通するデザインです。

このような力強さをアピールできる「デザイン」から考察するに、1940年代のスーツスタイルは戦争の影響を大きく受けたことが分かります。

なお、「ブリティッシュスーツ」の情報に関しては以下の記事にて詳しく解説していますので、参考としてご覧ください。

英国スタイルといえばこれ。今年のトレンドを取り入れたビジネススタイル

スーツ文化と歴史〜1950年代〜

1950年代は第二次世界大戦による混乱も落ち着き、ファッションの楽しみを取り戻した時期です。

こちらでは「1950年代における歴史とスーツ文化」について、イギリスに焦点を当てながらご紹介します。

時代背景を反映した中立的なスーツへ

1950年代には第二次世界大戦も終戦し、スーツスタイルにおいても心理的な落ち着きや、優しさが感じられるものへと変わっています。

例えば、1950年代のジャケットは、分厚い肩パッドから「ナチュラルショルダー」へと代わり、またウエストの絞りやドレープも少し緩いデザインが特徴的です。

このように、1950年代のスーツは着る人のラインに沿ったスリムなスタイルが主流となっていきました。

科学技術の発展と共にスーツスタイルの近代化が進む

スーツ文化の大きな変化として、伝統的な「3ピース」から完全に入れ替わり、「2ピース」が基本のスーツスタイルとして普及したことが挙げられます。

また、1940年ごろからポリエステルや、ポリウレタンなどの様々な化合成繊維に関する技術が向上し、合成繊維を用いたスーツが本格的に実用化されていきました。

このようなスーツスタイルやデザインの変化から、1950年代は「ブリティッシュスタイルの転換期」と言えます。

スーツ文化と歴史〜1960年代〜

1950年代から1960年代初期のイギリスは「スウィンギング・ロンドン」と呼ばれていたように、若者の男性ファッションのターニングポイントとなりました。

そのような背景を踏まえて、こちらではイギリスを中心とした「1960年代の歴史とスーツ文化」についてご紹介します。

革命的精神がスーツにも大きな変化を与える

イギリスにおいて初の水爆実験に成功したのを皮切りに、1950年代後半から1960年代にかけて、核兵器の保持に関するデモや運動が盛んに行われていきます。

このような既成の社会に反発する動きは、前時代の男性的なスーツスタイルに大きな変化をもたらしました。

例えば、ジャケットは細いラペルや狭いVゾーン、エレガントな「サイドベンツ」が主流のデザインとなり、また「トラウザーズ」は「ノータック」が採用されます。

また、前時代までのスーツの色味はネイビー等の地味なものが大半でしたが、この時代からチェック柄や、ストライプ柄など派手な色柄のものも登場しています。

革命的な時代であった1960年代を象徴するかのように、スーツスタイルにおいても前時代と相反するデザインとなりました。

スーツ文化と歴史〜1970年代〜

1970年代を象徴するファッションとして、アメリカで生まれた「ヒッピー」が挙げられるでしょう。

ヒッピーは、ブリティッシュスタイルにどのような変化を与えたのでしょうか。

そのような背景を踏まえて、こちらでは「1970年代の歴史とスーツ文化」についてアメリカを中心にご紹介します。

反社会的思想をうつすヒッピーカルチャーの登場

1970年代は泥沼状態にあった「ベトナム戦争」や、先進国を中心とした世界経済の景気停滞といった背景があり、特にアメリカ国民は政治不信や、失望感といった負の感情を強く抱いていました。

戦争に反発する精神から、若者を中心に「愛と自由」を求める思想やカルチャーが流行し、それに伴い個性的なファッションである「ヒッピー」が登場します。

反社会的活動が活発化する中で、アメリカ国内にて「第二波フェミニズム」が最盛期を迎え、男性社会に対する不満を抱えた女性たちによる運動がアメリカを中心に頻繁に行われます。

そのなかで、「個人的なことは政治的なこと」というスローガンが生まれ、女性たちは「日常的な領域こそ性差別がある」ことを訴えました。

このような日常の性差別に目を向ける行為は、男性向けに開発されてきたスーツに初めて、レディースのデザインの要素が加わるきっかけとなったのです。

ヒッピーとフェミニズムが融合されたスーツスタイル

1950年代のスーツスタイルは、ヒッピーやウーマンリブ運動などの「カウンターカルチャー」を反映したものと言えます。

例えば、大きなラペルや2つボタン、肩線が上方に反り返える「コンケーブショルダー」、高い位置でくびれ胴回りから裾へと末広がりになるシルエットが特徴的です。

ジャケットのスタイルに合わせる「トラウザーズ」は、膝から裾にかけて巾広となるベルボトム型の「フレアードパンツ」が主流となります。

また、ヒッピーカルチャーでお馴染みの「サイケデリックカラー」を模するように、色柄の派手なデザインが好まれました。

このように、スーツを着用する人々のカルチャーや、意識の変化に合わせて、新しいスーツスタイルを切り開くこととなりました。

スーツ文化と歴史〜1980年代〜

1980年代は「イタリアの奇跡」という言葉が生まれたように、イタリアの経済やファッションが全盛期を迎えました。

そのような背景を踏まえて、こちらではイタリアを中心とした「1980年代の歴史とスーツ文化」についてご紹介します。

イタリアの経済成長と共にファッション界でも存在感を発揮

世界的にインフレが進み、イギリスの「サッチャリズム」やアメリカの「レーガノミクス」に代表されるように、保守的な流れが続きます。

一方で、イタリアは農業中心の経済からグローバルな工業経済へと変革に成功し、目覚ましい成長を遂げます。

また、イタリアの高級ブランド「アルマーニ」が、堅苦しいジャケットを再構築した「テイラードスーツ」を提案し、世界的に成功を収めました。

イタリアのスーツが流行った理由として、「人と異なる価値観が良し」とされる時代背景と、既存の構築性や保守的な方向性に対する懐疑心が表現されたスタイルとの共通点があったことが大きいでしょう。

イタリア発の「ソフトスーツ」が登場

全時代までの「ブリティッシュスタイル」や「アメトラスタイル」では、身体のフォルムにフィットしたスーツのシルエットが定番でした。

一方で、「イタリアンスタイル」では柔らかい生地や肩パッドが用いられ、全体的に丸みを強調した大きいシルエットが採用されます。

具体的には、極端に低い「ゴージライン」や、分厚く広い肩周り、レディースのようにソフトな生地や色合いが特徴的です。

トラウザーズもプリーツを多く入れ、ゆったりとした腰回りから裾へと次第に絞り込まれる「ペッグトップパンツ」が主流となります。

以上より、1980年代を境に全時代までの構築的なスーツスタイルから、カジュアルでリラックスしたシルエットの「イタリアンスタイル」へと転換していったと言えます。

スーツ文化と歴史〜1990年代〜

これまで海外のスーツ文化を中心に解説してきましたが、こちらでは「1990年代の歴史とスーツ文化」について、日本を中心にご紹介します。

ブランド至上主義への反発から「クラシコイタリア」が注目される

1980年代において数多くの世界的高級ブランドがスーツ業界へと進出し、とにかく値段の高いものを身につければ良いという「ブランド至上主義」が日本においてもはびこっていました。

1990年代に入ると、バブル崩壊の影響から高級ファッションブランドが廃れ、シンプルさを求める「ミニマルファッション」が脚光を浴び始めます。

また、1992年に開催された「地球サミット」をきっかけに、「エコロジーファッション」が国内でも広く意識されるようになりました。

このような背景から、高い技術を持つ職人がハンドメイドで仕立てる「クラシコイタリア」に注目が集まることとなります。

クラシコイタリアは、高めのゴージラインと幅の広いラペル、高めのウエストラインで緩やかにシェイプされ、裾にかけて緩やかな「フレアードライン」が特徴的です。

2000年代の今もなお、クラシコイタリアは形を変えながら多くの日本人に愛され続けています。

なお、以下の記事にて、日本のスーツの歴史について焦点を当てた情報をご紹介してますので、興味がある方は一読ください。

日本と海外のスーツの歴史に違いってある?スーツは元々「戦闘服」だった!?

オーダースーツ専門店「オーダースーツSADA」とは?

今回は「スーツのルーツに加え、1920年代から1990年代までの歴史とスーツ文化の移り変わり」について解説してきました。

何気なく着用しているスーツにおいてもその歴史を紐解いていくと、特有のカルチャーや、歴史上の出来事と密接に関係し変化していったことが分かります。

なお、「オーダースーツ SADA」では、ご紹介した「ブリティッシュスタイル・イタリアンスタイル・アメトラスタイル」をご提供しております。

今回ご紹介してきたなかで「昔のスーツ」に魅力を感じた方は、ぜひ当店のお仕立てサービスをご検討くださいませ。